【米津玄師の生きづらさの表出】懺悔の街の歌詞の意味を解釈・考察

2018年6月28日

懺悔の街の曲にまつわる情報

「懺悔の街」は、米津玄師さんのメジャー3枚目のシングル「Flowerwall」に収録されている楽曲で、シャッフルビートの軽快なリズムにかなりダークな歌詞が書かれている楽曲となっています。


Flowerwall [ 米津玄師 ]

ファンの中でもカップリング曲で好きな曲を挙げるとしたら?という質問をするとすぐに挙がったり、一緒にオフ会でカラオケに行ったりすると入れたがるコアなファンがいたりと、米津さんの隠れた人気曲となっています。

懺悔の街のPV

懺悔の街のPVは残念ながらありません。。カップリング曲なので仕方ありませんね。

代わりにこちらの歌ってみた動画をアップしておきます!懺悔の街は独特のリズム感や世界観があるので、ぜひPVで見てみたいですね…!

懺悔の街のギターコード

懺悔の街のギターコードはこちら!

http://www.ufret.jp/song.php?data=37308

カポを2フレットにつけるとコードは簡単になりますが、シャッフルビート的な形では初心者は少し弾きづらいかもしれないので、あえて原曲通りのコードですべてパワーコードで弾いていってもいいかもしれませんね。

コードはシンプルなものの、やはりこの曲はリズム感が命なので、弾き語りはこちらの動画を参考にしながら練習してみてください!

懺悔の街のインタビュー記事

懺悔の街のインタビュー記事はこちら!

懺悔の街はシングルのカップリングなので、インタビューでも色々曲の背景を聞かれていることが多い楽曲でした。色々読み漁って、米津さんが込めた曲への想いを感じて歌詞を解釈してみると新しい発見があるかもしれません。

・M-ON!MUSIC

・ナタリーミュージック
https://natalie.mu/music/pp/yonezukenshi05/page/3

https://www.m-on-music.jp/0000096248/

懺悔の街の歌詞の意味を解釈・考察

懺悔の街は、米津さんの「自分は生きていてもいい存在なのだろうか」という自己否定的な価値観から生まれた楽曲です。

Flowerwallがかなり優しさや愛を持った楽曲である反面、懺悔の街はダークな心の内側を「街」というモチーフを通して表現しているのが特徴です。

それでは早速歌詞を解釈していきましょう!

懺悔の街_1番前半Aメロ歌詞の意味・解釈

いつの日か気がついたら 作り笑いが上手くなりました

街の角を曲がりくねって 繰り返してここまで来ました

どの角でどの往来で間違えたんだ

ずっと前の落とし物を探しまわって

(出典:懺悔の街 作詞:米津玄師 作曲:米津玄師)

ここで出てくる街ですが、これはdioramaの街と同じで「レールに沿った生き方を正とする一般的な感覚の人の集合体」の比喩です。

そんな街とは反対に、レールに沿った生き方や感性をしていない米津さんは、そんな彼らに迎合するために作り笑いがうまくなり、彼らとやり取りを繰り返す間に大切なものを無くしてしまったと情景を描いていますね。

上記の推測に照らし合わせると、この無くしたものは「独自性・個性」のようなものなのかなと思われます。

一人一人の特色が消えて画一的な生き方や感性になってしまいがちな日本人に対するアンチテーゼを感じますね。

懺悔の街_1番後半Aメロ歌詞の意味・解釈

いつの日か気がついたら 泣くことも少なくなりました

生まれてこのかた僕は この街のなか歩き回りました

あの路地もあの公園も小さくなって

袖の足りない服をまだ着つづけている

(出典:懺悔の街 作詞:米津玄師 作曲:米津玄師)

街の中を再度歩き回ると、身につけているものは同じはずなのに自分の体だけが大きくなってしまう。

これは人とのやり取りを繰り返すことによる時間の経過と、その経過に比例せずに自分の精神は幼い頃のままという解釈をすることができます。

大人になったことで多少のことでは泣かなくなったというように見せつつも、袖の足りない服を未だに着ているという自分の変わらなさを表現しているのが絶妙ですね。

懺悔の街_1番サビ歌詞の意味・解釈

聖者の行進が 賛美歌と祈りが

この街を包帯でくるんで

癒えるのを待っている

僕は悔やみ続けている

(出典:懺悔の街 作詞:米津玄師 作曲:米津玄師)

聖者や賛美歌などの悪いものを浄化するような綺麗なイメージなモチーフを並べ、懺悔をしている自分を赦そうとしています。

街を包帯でくるむという表現が1番Aメロ前半の解釈に沿って考えると中々に感慨深いですね。。

自分という存在がこの「街」に相容れないものだからこそ、その相違感に対して申し訳ないという気持ちが生まれ、それが「悔やむ」という歌詞に紐付いていると解釈することができます。

懺悔の街_2番前半Aメロ歌詞の意味・解釈

いつの日か気がついたら 遠くまでが見えなくなりました

街頭のあかりが弾けて 花火みたいなふうに見えました

今誰かの心の中見たいくせに

ちょっと先の看板の文字すら見えない

(出典:懺悔の街 作詞:米津玄師 作曲:米津玄師)

相手の気持ちが分かるどころか、目の前の風景すらもよく見えなくなってしまったということを歌詞にしています。

この見えなくなってしまったというのは、米津さんの過去の鬱病などの経験から、人付き合いに疲れ過ぎてしまい何もかもが自暴自棄でよく分からなくなってしまったということの表れなのかなと個人的には解釈しています。

余談ですが、街頭の灯りといえば、ハチP名義で出されたアルバム「OFFICIAL ORANGE」の遊園市街の歌詞が思い出されますね。

懺悔の街_2番後半Aメロ歌詞の意味・解釈

とある日の待合室で 女の人と一緒になりました

美しく笑う人で どんな言葉も尽くせませんが

同じようにこの街で生きてるのに

そう思うと恥ずかしくて たまらなくて

(出典:懺悔の街 作詞:米津玄師 作曲:米津玄師)

この「街」という人間社会において、この女の人は美しく笑っていて、そんなことができない自分はやはり醜く疎まれる存在なのではと、自分を卑下している様子がこのパートの歌詞からは伺えます。

“待合室”は花に嵐の歌詞にも出てきますので、関連性を考えてみましたが、あまりここには共通項を見出せなかったので、おそらくこの2曲は関係がないものだと思われます。

懺悔の街_2番サビ歌詞の意味・解釈

天使の遊戯が 女神の息が

この街に水をもたらして

癒えるのを待っている

僕は悔やみ続けている

(出典:懺悔の街 作詞:米津玄師 作曲:米津玄師)

1番サビと同様に天使の遊戯や女神の息といった神聖なものが出てきました。そして包帯と同様に街を水で癒しているのも構造的には同じですね。

米津さんの過去のインタビューを読めば明らかなのと、この曲の作られた時期を考えるとやはりまだまだ米津さん自身の心の闇が深い頃なので、生まれてきたことを悔やんでいた経験が出てくるのは非常に自然なことだったのでしょう。

ラストサビは1番サビと2番サビとを合わせたものとなっているので9割方割愛しますが、最後の最後だけ以下の歌詞が追加されています。

それでも明日は来る

(出典:懺悔の街 作詞:米津玄師 作曲:米津玄師)

この最後の歌詞は「それでも明日は来る」という、悔やみの毎日の連鎖がまだ続くことを示しています。曲の締めの部分でも救われることのない主人公のこの先が気になる終わり方で、なんともモヤモヤしてしまいますね。。

まとめ_懺悔の街の歌詞の意味を解釈・考察

懺悔の街の歌詞を解釈してみましたが、いかがだったでしょうか?

初期の米津玄師という感じが強く出ていて、僕としてはとても好きなカップリング曲の1つです。他にもamenあたりのカップリング曲も似たような暗さを持っているので、聞いたことない人はぜひ聞いてみてはいかがでしょうか?

 

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