【生い立ち・過去を完全解説】米津玄師の経歴とそこから見える才能とは

2018年6月28日

こんにちは、米津玄師オフ会”ぼっち会”の中の人(@yonedu_bochi)です!

 

「めっちゃ長文になっていいから、米津さんがどうしてあれだけの音楽を作れるのかのルーツを知りたい!」という人のため、米津さんの過去の経歴を米津ファン歴10年近い僕がガッツリと今回振り返っていきます。

 

最初に言っておきますが、かなり長いです

ただ、死ぬほど濃密に彼の凄さを改めて知ることができること間違いなしな記事です。

彼の過去にこそ、米津さんの楽曲の由来や奥深さが隠されているので、昔からのファンも最近知った人も新旧問わずにファンなら絶対に知っておかないと損な内容です。

ぜひ最後まで読んで見てくださいね!

(サムネイル画像出典:https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000070.000007551.html)

 

コミュニケーションに悩まされる過酷な幼少期

1991年3月10日、徳島県に生まれた米津さん。

幼少期から高機能自閉症ということで、人とうまくコミュニケーションを取ることができなかったようです。

そんな性格からか、2万字インタビューなどで「父とあまり関わらなかった」「学校も引きこもりがちでつまらなかった」と言葉にしており、どうも家族とも友人とも密に関わっていたわけでもなく、どこにも居場所がなかったとのこと。

(『ピースサイン』のカップリング曲『Neighbourhood』の歌詞などにも小さい頃の様子が描かれていますね。)

 

そのため、小さい頃から1人で黙々と絵をひたすら書いたり、小学校高学年の頃などでは誰とも喋らない代わりに自分の妄想から生まれたキャラクターと話をしていたりというかなり変わった子ども時代を送っていたそうです。

この頃の経験や高機能自閉症の特性から、あのイラスト力が養成されていったわけですね。

(※米津さんの病気や障害についてはこちらの記事からどうぞ!)

 

また、幼稚園くらいの頃に唇を怪我してその処置の見た目から周りの友達が引いているのを見て、「あ、自分は他の人とは違う存在になってしまった。普通の人ではなく怪獣のようなものになってしまった」と思ったそうです。

この頃の思い出が「かいじゅうのマーチ」や「かいじゅうずかん」、その付録の「love」という楽曲へとどんどん昇華されて現在の作品につながっていることが分かりますね。

 

徳島出身ということも実は彼の作曲センスに関わっていると思われ、徳島県の阿波踊りのような祭囃子的なリズム『結ンデ開イテ羅刹ト骸』『ホラ吹き猫野郎』などといった作品内に時折出てきたりします。

また、『海と山椒魚』では瀬戸内海の海を思わせるようなのどかな情景描写などもあり、非常にこの四国という土地柄に根付いた歌詞を書いていることもあるように見受けられるのも彼の作品の特徴ということができるでしょう。

音楽との出会いとバンドの挫折

小学校高学年の頃のある日、パソコンが家に届いたことから米津さんの運命は大きく変わっていきます!

徳島県は本当に何もなくて退屈でしょうがなかったらしく、このパソコンは相当影響が大きかったようです。

その当時はネットでフラッシュアニメが流行っており、そのアニメのBGMによく使われていたBUMP OF CHICKENを知り、そこから米津さん自身も音楽の楽しみに気づいていきます。

(僕も米津さんとほぼ同い年ですが、この時は本当にこの動画流行ったなぁ…。)

 

そして、中学・高校になるとギターやDTM(デスク・トップ・ミュージック)を始め、バンド活動を開始。

高校は徳島商業高校だったそうですが、米津さん曰くあまり学校に良い思い出はないそうで、音楽に傾倒して家から自転車ですぐのCDショップに入り浸っていたとのこと。

バンド活動についてですが、もしかしたら高校卒業後の大阪の美術大学時代かもしれませんが、学生時代のどこかで「late rabbit edda」というバンド名で活動をしていたそうです。

しかし、米津さんと他メンバーの温度差から活動は休止になったとのこと。。

こちらがそのlate rabbit edda時代の曲のボカロカバーの動画なのですが、どこか『ワンダーランドと羊の歌』みたいなリフで米津さんらしさを感じますよね。

 

ボカロPとしての成功

もともとコミュニケーションを人と取ることが好きではない気質から自分至上主義のような感覚を持っていた米津さんは段々1人だけで音楽を創作し始めていきました

ちょうど初音ミクなどのボーカロイドが普及し出した頃に米津さんもそれに手を伸ばし、ニコニコ動画へボカロに歌わせた自身の楽曲を投稿し始めます。


花束と水葬 [ ハチ ]

 

ハチ名義で今も残っている一番古いボカロ曲は2009年5月の『お姫様は電子音で眠る』ですが、有名になり始めたのは「マウス戦士」というあだ名がつき始めた『Persona Alice』『結ンデ開イテ羅刹ト骸』のあたりから。

異常なまでにこだわったマウスで描いた自作の絵と強烈なストーリー性にトリッキーなメロディラインを合わせ持つ楽曲・イラストのセンスから徐々にファンが増えていきます。

(この当時、彼は18歳なんですよね。。鬼才。。)

 

そして代表曲『マトリョシカ』がヒットするといわゆる”祭り状態”になります。

続けて発表される楽曲もほぼ全てスマッシュヒットで『ワンダーランドと羊の歌』『パンダヒーロー』『WORLD’S END UMBRELLA』といったヒット作が瞬く間に話題になり、一躍ニコニコ動画を代表する人気ボカロPとなっていきます。

これらの楽曲が多く収録されたハチPとしての2ndアルバム『OFFICIAL ORANGE』も未だに米津ファンの中では人気の名盤として、根強いファンに支えられ続けています。


HACHI/OFFICIAL ORANGE 【CD】

ただ、この成功の裏には、先ほど紹介した高機能自閉症という障害に加え、うつ病など他の精神的な病気・逆境が存在していたようで、歌詞の中にも「醜い自分を認めてほしい」「愛されたい」「誰もが嫌い」といったニュアンスの歌詞が初期の米津さんの曲にはよく出てきます。

そんな苦しい時代があったからこそ、同じように孤独を感じている多くのリスナーの心に響き、大人気になったのだと考えられますね。

 

素顔の”米津玄師”としてのキャリアを歩み出す『diorama』

2012年、ボーカロイドを隠れ蓑にしたくないという想いから、1stアルバム『diorama』で本名の米津玄師として21歳でメジャーデビュー。

ボーカロイドの画面の先には人はいても、現実の自分の周りにはほとんど人がいないということに改めて思うことがあり、このデビューに繋がったそうです。


diorama [ 米津玄師 ]

 

続く2013年、1stシングルの『サンタマリア』では初めてPVで素顔を明かし、ファンを騒然とさせました。

(※「INTERNET INDEPENDENT MUSIC LIVE FES」では既にハチPとして素顔は一度出していました)

 

diorama時代の楽曲は米津さん曰く、「他の人の目線でなく、自分の中での最高のJ-POPを作った」とのことで、非常にキャッチーで中毒性の高い曲が多いものの、曲も歌詞も難解でたしかに一般受けはしづらい作品でした。

特に歌詞は、米津さんの過去を思わせる苦しみや孤独、醜い自分への自己嫌悪などが満載で、聞く人が聞けばかなり深いところまで刺さる楽曲が多いものの、哲学的・文学的すぎて理解が難しいものが多かったのが印象的です。

そして、dioramaが圧倒的に売れると思っていたら思っていたよりも売れなかったことから、米津さんは自分自身が気持ちのいい音楽ではなく、万人に受け入れてもらえる音楽を作ろうという風に気持ちが変わっていきます。

 

1人でなくバンドで作りあげた『YANKEE』

2014年、2ndアルバム『YANKEE』をリリースします。


YANKEE [ 米津玄師 ]

このアルバムは今までとは違い、DTMだけでなく実際にバンドメンバーと顔を合わせて作っていったためにバンドサウンドが前作よりも遥かに強く前に押し出されていることが分かります。

 

打ち込み中心ではないギターロック調の曲が多く、『花に嵐』『メランコリーキッチン』『TOXIC BOY』などのノリノリな楽曲が軒並み名前を連ねていることも特徴ですね。

(おそらくシングル曲だった『ポッピンアパシー』をアルバムに入れなかったのはこの打ち込み調の曲風からの脱却を意味していたのではないかな…と個人的には解釈しています)

 

曲の歌詞としてはまだ一部難解なところがあるものの、dioramaの時よりかはスッと入ってくる歌詞が多くなった印象です。

リスナーの心の弱いところを突いてくる『WOOEN DOLL』や、アーティストとしての生き方を歌う『リビングデッド・ユース』は特にこの頃の米津さんの楽曲の中でも分かりやすいものではないでしょうか?

また、このアルバムに彼の代表曲で東京メトロCM曲にも抜擢された『アイネクライネ』が収録されているのも見過ごせません。

(本当にこの曲はいつまで経っても色褪せない名曲ですよね。。)

そんなアイネクライネを通じて、米津玄師の名前は全国区へとプッシュされていきました

新しい音楽領域を開拓し出した『Bremen』

わずか1年程度のインターバルの後、2015年には3rdアルバム『Bremen』を発表。


CD/米津玄師/Bremen (通常盤)/UMCK-1522

 

『YANKEE』の頃とは違い、エレクトロサウンドを用いた新しい作風の曲が多かったことが当時は話題に上がりました。

もともと米津さんはいわゆるロックバンドのサウンドメイクは得意でしたが、さらに自分の音楽の幅を広げようと様々試行錯誤したと解釈することができますね。

 

また、歌詞も前作より意味が分かりやすくなり、米津さんがより多くの人が理解でき、且つ売れ線なサウンドではなく米津さんらしい曲風を織り交ぜた普遍的な曲を作ろうとしていたことがここから伺えます。

(発売から3年後ではありますが『メトロノーム』のメロディの美しさがテレビ番組『関ジャム』で取り上げられていました)

 

また、Bremenを作っていたこの頃はよく聖書などを読んでいたそうで『Neon Sign』などでその一部が見て取れます。

カップリング曲ですが『amen』なども同様で、宗教やそれに準ずる神話の要素も含めてさらに米津さんの思想に奥行きが出てきているのは見過ごせませんね。

 

他にも『Flowerwall』『アンビリーバーズ』などがTVCM曲に、『シンデレラグレイ』はNTTのキャンペーン動画ソングに起用されているため、YANKEEの頃よりもさらに多くの人から注目され出していたことが分かります。

 

結果、TBS「第57回 輝く!日本レコード大賞」にて「優秀アルバム賞」を受賞。

米津さんは番組にこそ顔出ししなかったものの、名実ともにトップミュージシャンへの仲間入りを果たすことが出来ました。

 

多数のゲストと曲を作り上げた『BOOTLEG』

4thアルバムの『BOOTLEG』が出た2017年は完全に米津さん飛躍の年だったと言えるでしょう。

あれだけ音楽の幅をBremenで広げておきながら、さらに本作で菅田将暉さんや池田エライザさんを始めとした様々な人とのコラボを通してそこに深みを加えたように感じます。

2017年10月にアルバムの全国最速試聴会を東京国際フォーラムで行ったのも話題を呼びましたね。


米津玄師/BOOTLEG

 

さて、このアルバムは「オリジナル信仰へのアンチテーゼ」がコンセプトで「海賊版」という意味の英単語が名付けられました。

米津さんは「今の音楽にオリジナルなんてものを求めてしまったら、ノイズミュージックののようなものしか残らないけれど、それでもアーティストに対してオリジナルを求めている人が多い」と現在の風潮に対して少しばかり懐疑心を持っているようで、その思想がBOOTLEGという作品に繋がったとのこと。

なので、既存楽曲の歌詞引用やオマージュ、サンプリング音でトラックを作るといった「オリジナルじゃないものでオリジナルを作る」というコンセプトを体現したような楽曲が目白押しです。

 

歌詞の特徴としては、活躍の幅が広がったことによって、シングル曲・アルバム曲ともにタイアップ曲やコラボ曲づくめになり、今までの「リスナーとの1対1の心の会話」というニュアンスよりも、タイアップ先の作品やアーティストをどう曲と合わせてプロデュースするかというところにメッセージの比重がかかっている曲が多いように感じます。

特に『砂の惑星』では久しぶりのハチ名義で「ニコニコ動画の衰退と今後への期待」という賛否両論のコンセプトを打ち出したのは、彼の経歴・キャリアから考えてもかなりインパクトの大きい要素だったのではないかなと思います。

 

そして、このBOOTLEGを引き下げたツアー「Fogboundツアー」では日本武道館にてついに初公演が果たされました。

自身のミュージシャンとしてのキャリアで初の武道館ということで、一部映像化されたりニュースZEROでインタビュー込みで取り上げられたりとメディア露出も。

この時点で動画の総再生回数は6億回を超えていたそうです…。

 

これらのプロデュースする要素の”らしさ”を柔軟に捉えて、リスナーが心地よいと思うメロディに昇華させる能力がとてつもなく高いということをBOOTLEGで世に示した米津さんは、次の作品としてとてつもないシングル曲を世に放つことになります。

 

『Lemon』の大ヒットと異例の新記録の樹立ラッシュ

2018年3月、ドラマ『アンナチュラル』の主題歌としてタイアップされたことで、さらなる注目を浴びたのが大ヒット作『Lemon』


Lemon (初回限定映像盤 CD+DVD) [ 米津玄師 ]

楽曲の良さやドラマの影響、さらにはハイヒールや逆再生疑惑といったMVの謎が拍車をかけ、テレビやネットで話題が話題を呼び、この曲は史上最速で累計100万ダウンロードを達成するという大記録を樹立しました。

 

さらに米津さんのYouTubeチャンネルでは、Lemonに封入されているレターセットの秘密や曲誕生の秘話などが米津さんの肉声で語られた動画を公開しているというPRのテコの入れよう。

事務所もレーベルも本気で米津さんのブレイクを後押ししていることが分かりますね。

 

その他にもYouTubeチャートで『灰色と青』『ピースサイン』『打上花火』が同時にトップ10入りするという快挙も重なり、2018年5月渋谷に大型看板が掲げられるなど、ますます彼の勢いは止まることを知りません。

 

まとめ

米津玄師さんの幼少期から2018年6月現在までの経歴やキャリアを追ってみましたが、いかがだったでしょうか?

彼の思想の変化は歌詞や楽曲にも如実に反映されますので、常にアップデートされていきます。

この頃の作品がよかったなぁ…という方もいるかもしれませんが、それらをすべて飲み込んだ上で現在の米津さんの楽曲があるので、“点”で捉えるのでなく”線”として彼の作品と想いに対して理解を深めてもらえると彼の1ファンとしてはすごく嬉しいです!

 

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BOOTLEG (通常盤) [ 米津玄師 ]