米民・米津教という言葉を使うことに対して、音楽好きとして意見したい。

2018年6月26日

“〜教”を使ってミニ炎上したアーティストファンの件

事の発端は、つい先日に米津玄師さんの某ファンがTwitterで呟いた「米津教」というツイートで、「アーティストに対して”〜教”という言葉を使うのはどうなの??」というところから本件がスタートしました。

米津玄師のファンの通称として「米民」という言葉はもともと流布されていましたが、「米津教」という言葉には「さすがに無いよね…」ということでたくさんのツイートがタイムラインを流れたので事が大きくなりました。

今はそのアカウントと元ツイートは見れない

今はもうそのアカウントも鍵垢になり、大元のツイートは削除されて見れないのですが、そのアカウントの人が呟いたものをID隠しの状態でリツイートしていたのを見つけました。

どうやら本人もだいぶ反省しているようですね…。

で、今回この事に対して意見を言おうかどうかすごく迷っていたのですが、この記事に書く僕の考えもあくまで「一つの物事の捉え方」であって、誰を傷つけるという訳でも無いだろうというように自分自身で思えたので、ブログにまとめてみました。

ここ3日くらい経ってかなり事態は収束を迎えてきたので、改めて今回の騒動を全体的に振り返りつつ、最後に自分の意見を伝えてみようと思います。

反対派が大多数

「米津教」という言葉に対して、TLの99%くらいの方が反対派でしたね。

米津さんを神格化するのはやり過ぎだという意見が圧倒的に多かったです。

もともと無信教である日本人が宗教という概念に対して基本的に否定的になってしまうスタンスはあるとは思いますが、それを考慮してもやむ無しと言った具合にミニ炎上していました。

大人な意見

うーん、こういう時に中立的に事態を俯瞰して意見を言える大人な人は素晴らしいと思います。

どっちも傷つけないどころか、この論争をすることによるファン全体にとってのデメリットにまで触れています。

非常に大人ですね。

ネタで盛り上げる謎の派閥

番外編ですが、クラスに1人くらいいるタイプのツイートですね。

言いたいことは非常によく伝わりますし、個人的にその切り返しはかなり好きです。

こうやって事態を和ませるツイートもちょこちょこTLに見受けられました。

個人的な意見

ここからは僕の個人的な意見となります。

 

ぶっちゃけどうでもいい。

さて、本件に関して一個人としての気持ちとしては、ぶっちゃけどうでもいいと思っています

好きな気持ちがあればどんな風に好きになったって本人や周りに迷惑さえかからなければ構わないし、どんな呼び名をしてもいいと思うし、好きにすればいいと思います。

全く本気ではないにしても「神ってる」なんて言葉くらいなら多くの人は使いますしね。

 

ただ、誤解を恐れず言えば「そういう人はそういう人で全然いても構わないけど、自分はやりたくない」というスタンスであるといったところでしょうか。

そういう人がたとえいたとしても別に自分に危害を加えられている訳でもないですからね。

「あの人はああいう人だからなー」と受け入れて終わります。

 

「〜教」や「神」という言葉を使いたくない最大の理由

一個人として、「米津教」という言葉に関しては「無いなぁ…」と感じています。

これは宗教というものが「戒律=ルール」という”信者の行動に対しての強制的要素”を孕んでいるからというのが理由ですね

米津玄師のファンだからといって「毎日彼の音楽を聞くべき」「必ずCDを買うべき」といったルールなんて無い訳です。

エンターテインメントは自由主義であり続けるべきだし、そういうルールが仮にあったとしてもそれに対して中指突き立てるのがロックの元々の思想でもあると僕は思っています。

 

ただ、勘違いする人がいたら困るので何度も言っておきますが、これはあくまで一個人の意見です。

「自分の意見が絶対に合っている!」なんて1mmも思っていませんし、そもそも合っているも間違っているもないと思っています。

 

実は「民」という言葉にも嫌悪感がある

ちなみにこのスタンスでの延長線上の話ですが、正直なところ「米津教」も「米民」もあまり変わらないなぁと僕は思っています。

これはあくまで主観的な認識の問題なので、全員がそういう感覚を持っているとは思ってもいない前提での話ですが、「民」という言葉が付いていると「王や大統領のような何か頂点に君臨させた象徴的アイコンに対して、国や社会を形成する人」というイメージが頭をよぎるからちょっと嫌なんですよね。

「なんだよ、米津玄師はオレらよりも格上だろ!」という意見も飛んできそうですが、あくまで同じ人類であって、クリエイターとしてのリスペクトや尊敬の念はあったとしても、人格的に上も下もあったもんじゃないと思っています。

 

もしこのファンの通称を押し付けてくる人がいるのであれば、その人は戒律としてファン全員に求めてくるので、広義の意味での「宗教家」です。

ただ、ここまで言っておいてあれですが、とはいえ一瞬で「この人はこのアーティストが好きなんだな」と分かる記号的機能な意味合いとしてはファンの通称は優れていると思うので、TwitterなどのSNS上で自分と同じ趣味を持つ仲間を探す点においては効果的だと思ってもいます。

結局のところ、「好きにみんなすればいいけど、個人のこだわりを他人にまで押し付けるのはどうなの?」というのが結論ですかね。

音楽ってもっと自由でいいんじゃない?

さて、上述のスタンスだと、「だったらわざわざ自分の意見なんて言わなくていいじゃないか!」と言われるような気もしますが、これに対しては、「音楽好きとしてこういうよくある論争を何度も見たくない」という気持ちがあるので、今回あえて意見を書いてみたという次第です。

長年音楽が大好きでいると、米津さんに限らずどんなアーティストでもこの「ファン間でのアーティスト神格化論争」はよく起きるので、それに対して「ちょっとこういう意見があるんだけど、どうでしょ?」的な感じで伝えられて、少しでもこういう論争を起こさずに誰もが自由に音楽を楽しめればいいなと思うんですよね。

とはいえ、「いや、お前の思想はなんかおかしい!」という意見があったらそれはそれで何か僕の気づかない範囲に存在する考えの落ち度を改善できるかもしれないので、是非リプを飛ばして聞かせてください。

長くなってしまいましたが、みんな音楽やそれを生むアーティストが好きなことに変わりはないと思うので、各々の楽しみ方で引き続き楽しんで、エンタメがより発展していけばいいなと思います!

おしまい!

 

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